受験は平等であるべきか?

英語民間試験実施見送り ワイドショー

 入試改革の目玉として、英語試験の見直しに着手しました。これまでやってきた「読む・聞く」に「話す・書く」を加えた4技能で評価することに決めました。
 特に、「話す」試験については、一度に数十万人が受験し採点するのが難しいため、既にある民間試験を導入することになりました。

 ここまでは多くの人にとって異論がないところでしょう。問題はその後の部分、、、平等であるべき大学受験が「地域格差」や、試験を受ける回数が制限される「貧富の格差」があるのは不平等

 民間試験は出題形式に慣れることで得点がアップすることがあります。例えば、都会の受験生は練習のために、試験料さえ払えば身近な会場で、何度でも受験できます。 一方で地方の受験生は、試験の度に多額の交通費、離島の場合は宿泊費も負担しなければなりません。

 番組で取材した京都府福知山市の学習塾で学ぶ生徒は「田舎なので都会に出ないといけない」「不公平感がある」と話し、塾のトップは「遠方であればあるほど試験はやりにくい」「外に出ていくことに対するストレスはだいぶある」と懸念していました。

 確かにその通り。制度を作るプロジェクトの関係者は知恵を出し議論を重ねて出来る限りの平等を実現して欲しいと思います。しかし、、、

 平等でない制度だから実施すべきではない。
本当にそうか? そもそも、みんなに平等な制度なんてあるのでしょうか?

 繰り返しますが、制度を作る側には検討に検討を重ねてなるべく平等になるように努力して貰いたい。でも、当事者である受験生の君は、こんな泣き言を絶対に言ってはいけない。 
 地方に住む受験生は都会に比べれば難しい面があるでしょう。でも君は今、学習塾に通っていて民間試験を受けるチャンスが与えられている。一方で都会に住んでいても経済的理由で学習塾に行けない人もいる。受験料を払えない家庭もある。そもそも経済的理由で大学進学をあきらめる高校生がごまんといることに目を向けてください。

 昨年は医学部受験生の成績に加点や減点されていたことが問題になりました。 縁故の受験生のみならず、女子受験生や浪人生に恒常的な点数操作がなされていたことが明らかになって社会問題になりました。
 受験生に告知することなく点数操作したことは犯罪の域だと思いますが、問題の根底にあるのは、医科大学は若い男子学生が欲しいという事実。
 卒業後の就職先である「病院」は、体力的に無理がきかず出産や育児で医師をやめたり休職する可能性が高い女医より男性の医師が欲しい。ならば、医師を供給(育成)する立場の大学も男子学生を欲しがるのは当然の経済原理でしょう。
 大学は入学試験要綱に堂々と書けば良い。
「当学は男性医師を多く育てたいので女子受験生には点数のハンディを設けます。試験点数の合計から一律○○点を減点して判定します。この判定方法に納得頂ける人だけ受験してください」

  私たちは差別と格差の社会に生きています。そのことはみんなとっくに知っていて実感として感じていることです。 そこへコメンテーターとか解説者と名乗る人たちが「男女差別は許せない」とか「不平等だ」と煽ります。ボーっとワイドショーを見ている私たちは、その言葉に溜飲を下げ、「私も許せない」「差別反対」と同調してしまいがちです。

 萩生田文科相の「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」という発言(そもそも「身の丈」という言葉の使い方が論外ですが)言いたかったのは「(受験生みんなに)平等に受験チャンスがあるので、それを活かしてがんばって欲しい」ということだったのでしょう。素直に捉えて前向きに対応すべきと思ったのですが、政府は試験の実施をあっさり撤回してしまいました。そんな薄っぺらい検討だったのでしょうか。2重のがっかりです。

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